俺の敵は俺。

性同一性障害。FTMも十人十色。
私が歩んだ道のり、手術や手続きで困った点なども記録していこうと思います。
私は決まって変わった事はしていませんが、様々な進め方の一つとして、どこかの誰かの参考になればと思います。

俺の保育士時代

俺は元保育士。




友達や周りに

驚かれること多いけど。





子どもってあんな小さいのに、

テコテコ歩くし、話をするし、

大人の心配だってしてくれる




めちゃくちゃ

かわいすぎるだろう。





小さい物も好きです。



ミニチュアとか。





ガサツなんで、

買ってもどっかに

消えちゃうんだけどね。







保育士時代は

2歳と、3歳の担任をしてた。




元職場は服装もわりと自由で

赤ちゃんのクラス以外は

エプロンしなくて良し。





まあ、俺の保育士ぶりは

ひどいもんでした。




音楽できないし、

裁縫できないし、




女の子に先生、髪結んでって

言われて、結んだら、泣かれてたし。




プリキュアみたいにって

無理じゃない?




金太郎みたいにしか

できなかった。










こんな先生でごめんねと

思いつつ、




俺なりの保育をしてみた。





優しい子達になって欲しいなと。





小さくたって、立派な人間だから、

ありがとうとごめんねを

言える子になって欲しいと思ってた。






教える立場の人間が

ちゃんとできているのかって話だな。






俺は威張れるくらい

カス人間だったけど、



ありがとうとごめんは

昔から大事にしてるかな




あと、ただいま。




昔、どんなに

最低エンジョイしていても

家帰ったらただいまって言ってた。





まあ、親からしたら

夜中にうるせえって感じだろう。





なんのこだわりだったのか

自分でも分からんが。







2年間で俺が伝え続けた事は

今あの子たちに響いているのかね。




まあ、忘れてるだろうな





会いたいなーと思うが、

見た目や声が変わってしまって

誰も分からないだろうから

やめとく。






福祉の道に携ってきたから、

障害については、

多少なりとも知識は増えた。




特に、発達障害。



3歳でも1歳ぐらいの

発達しかしてない子が

担当の子にいた。





脱走は毎回。





絵本読んで、お集まりとかを

している最中にいなくなっちまう。




まあ、話が分からず、

苦痛な時間だったのかなとは思う。





子どもだけ残して

追いかけられないから、




廊下から別の先生に

パスですよ。






1番頭抱えたけど、

1番かわいかった。




一言話せる言葉が増えると

我が子のように嬉しかったね。





せんせ(先生)

だいじょぶ?(大丈夫?)




まじ感動だったな。

他の先生に自慢してた。





あの子が何を伝えたいのか、

逆にどうすれば伝わるのか。





その子が成長していく度に

俺も成長させてもらったかな。






その子のお母さんは、

シングルマザーで

仕事、家事をしながら、

一生懸命その子と向き合っていた。




比べたくなくても

周りの子と比べてしまって

どれだけ不安だったろうと思う。




それでも絶えず笑顔で

向き合うその子のお母さんは

かっこいいなと思った。




母親って偉大だなと。









俺も、親になりたいね。




今度は親の立場で、


父親として、

子どもと向きあっていきたいね。







まずは、結婚して、

自分の奥さん大事にしないとね。





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