俺の敵は俺。

性同一性障害。FTMも十人十色。
私が歩んだ道のり、手術や手続きで困った点なども記録していこうと思います。
私は決まって変わった事はしていませんが、様々な進め方の一つとして、どこかの誰かの参考になればと思います。

きっかけ〜 カミングアウト


高校卒業して一人暮らしを開始。



学生として勉強に専念…


と思いきや、




飲みまくりバイトしまくり

飲みまくり遊びまくり


もちろん単位ギリギリ。




学校行かせてもらって

何をしているのか。



あーやっぱり俺の事殴りたいね。




クソだったなと思ってから

自分で自分を本気でぶん殴った。





そこから意識改革。







まあ、子どもがすげー好きで

そっちの学校に行ったんだけど



ピアノできないし、

裁縫できないし

何故行った?ってレベル。




卒業はしないとって思いは

あったから、卒業はした。






性同一性障害としては、


一人暮らしした頃から

色々な出会いがあり、色々な話を聞き、自分もそうかもと思い始めたが、どう動けばいいか分からなかった。



調べる頭もなかったな。





まあ、流れに身を任せ、

そこから2年保育士をした。




子どもたちに


先生は男?女?大人?

って聞かれる事も多かった。




大人!大人!って流してたけど




確かに女らしさのかけらもないし

親御さんの目もある。




しんどいなと思い始めた頃、

ある友人の紹介で

東京の精神科を勧められる。



保育士やめよう。病院いこう。




そこから男しかいない世界に

飛び込み、力仕事。

まあ土方みたいな事を始める。







そこで働きながら

夜行バスに揺られ東京に行き、


H26.5.22

性同一性障害と診断される。




診断されたら

すげー楽になったのを覚えている。



あー、

こーゆー生き方があるんだなと。




俺はこうやって

生きてけばいいんだなと。




そこから人生明るくなった。




東京から戻り、

その足で地元の病院に飛び込み


H26.5.22

ホルモン治療開始。





正式に両親に

カミングアウトしたのは

その一週間後くらい。




中身はずっとこのままだから

母さんは当たり前のように

聞いてくれた。



鬱もなおって、

元々明るい人だから、

ヘラヘラしてた。




夜、泣いてたのみたけどね。





あーあ、泣かせたなと

なんも言えなかったな。





親父は診断書投げつけて

俺は知らねえってさ。




俺も知らねえってなったけど、

当然の反応だろうと思って飲み込んだ。





昔からその節はあって、

気付いてたろうけど

実際に障害とついた紙をみたら

親はどう思うのかってね。





申し訳なくて仕方なかった。






俺は男としてこの先生きてく。

それで疎遠になっても

この先、周りに後ろ指さされても

全部覚悟はしてる。




って言うしかできなくて

そのあとは車走らせて、無心でドライブしたな。





多分、親父も泣かせたね。







まあ、そんなカミングアウトだった。







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